なぜ人と会話するのは疲れるのか

世の中を見ていると多くの人がコミュニケーションに苦労しているように思います。
僕もその一人で、昔からコミュニケーションが苦手で、たくさん苦労をしてきました。
なぜこんなに人と話すのが大変なのか。
その理由について僕なりに考察をまとめたので、良かったら読んでいってください。


会話の目的の変化

なぜ人と会話するのが疲れるのか。それは環境の変化に現代人が適応できていないからだと思います。
まず、昔の人と現代人とでは会話の目的が異なるということを言いたいです。
会話をするには何か目的があります。
生物の全ての行動は何か目的があって行われています。
当然、人が会話をするのにも何か目的があるわけです。
ではその目的とは一体何なのか。
それはたくさんありますが例えば、情報交換のため、要件を伝える、頼み事をする、些細な雑談、異性を口説く、など色々あります。
もちろん他にもたくさんあると思います。
昔と現代を比較するとこの会話の目的が大きく変化しています。


昔は情報を得る手段が会話しかなかった

まず昔は主にどんな目的で会話が行われていたのかというと、それは情報交換のためではないかと思います。
現代だったら情報を得る手段はたくさんあります。
本、新聞、テレビ、インターネットなど。
しかし昔はそれらの手段はありませんでした。
文字が誕生したのですら数千年前であり、それも読み書きが出来るのは極一部の貴族くらいで大半の人は使えませんでした。
つまり昔の人はほとんどの情報を会話によってやり取りしていたわけです。
当然、昔だって生きていくためには情報が必要です。
作物の育て方とか、病気の治療法とか、道具の作り方とか、様々な情報が必要になります。
そしてそういった情報を得るためには人と会話をして聞くしかありませんでした。
だから昔の人達はたくさん会話をしていたわけです。


現代は情報を得る手段がたくさんある

それに比べて現代はどうでしょうか。
本、新聞、テレビ、インターネット。
会話以外にも情報を得る手段はいくらでもあります。
むしろこれらの道具は会話をするよりも効率的に情報を得ることができます。
だから現代では情報を得るために無理して会話をする必要がありません。
このように昔と現代では会話のあり方に根本的な違いがあります。


会話の量は昔とあまり変わっていない

現代人は会話をしなくても情報を得ることができます。
昔の人はおそらく会話の多くを情報交換に費やしていました。
そう考えると現代人は昔の人よりも会話の必要性が少なく、会話の量が減っているはずです。
しかし、世の中を見ていると現代人の会話量は昔とあまり変わっていないんじゃないかと思います。
昔の人がどれくらい会話をしていたのかわかりませんし、あくまで個人的な印象ですが、現代人の会話量が昔と変わっていないと仮定して、なぜそうなのかを考えてみます。

人間の体の構造は昔から変わっていない

その理由は現代人の体の構造が昔の人と大して変わっていないからだと思います。
人間が会話以外から情報を得るようになったのはごく最近のことです。
文字ができたのは結構前ですが、読み書きが出来たのは極一部の人だけでした。
一般人でも当たり前のように読み書きが出来るようになったのは、せいぜい数百年前からです。
生物は進化するものですが、さすがに数百年で体の構造が大きく変わることはありません。
つまり今生きている私達の体は、会話以外に情報を得る手段がなかった時代の人たちとほとんど同じということになります。
これだけ世の中の環境が変わっているにも関わらず、体の構造は変わっていない。
これが現代人が会話に苦労してしまう要因になっていると思います。


会話力のある人間が生き残ってきた

では昔の人達はどんな体質をしていたのか。
それは会話力の優れた人達ではないだろうか。
会話力は現代でもとても重要な能力ですが、昔はそれ以上に重要だったと思います。
有益な情報を得るためにも、仲間を作るためにも、異性にモテるためにも会話能力は必要不可欠です。
だから会話力の優れた人が生き残り、子孫を残してきました。
つまり私達はそのような会話力の優れた人達の遺伝子を受け継いでいるわけです。
でもだとすると疑問が生まれます。
現代人は皆、優れた会話力を持った先祖の遺伝子を受け継いでいるにも関わらず、なぜ会話に苦労する人が多いのだろうか。


会話力は後天的なもの

その理由は会話力が後天的に身につくものだからだと思います。
会話力は生まれた時からあるわけではなく、成長とともに養われていくものです。
生まれたばかりの時はみんな赤ん坊で喋ることができません。
そこから言葉を覚えて、人と関わり、色々な経験をして会話力が養われていきます。
だから会話力は後天的なものなんです。
では会話力には才能や素質はないのかといえばそうではありません。
当然、会話力が伸びる人、伸びない人がいます。
ではその差はなんなのでしょうか。


会話力を身につけるために人間が持っている性質

会話力を伸ばす最良の方法は人とたくさん会話することです。
人とたくさん会話をした人ほど会話力が伸び、それによりさらに人と関わる機会が増え、たくさんの子孫を残していきます。
だから人間の体には人とたくさん関わろうとするある性質が備わっています。
それは人と接すると幸福を感じ、人と全く関わらないでいると苦痛を感じるという性質です。
人はその性質があるからこそ、人と関わろうとするわけです。
そしてその性質が強いほど、たくさんの人と関わり、多くの子孫を残すことになります。
当然、現代を生きる私達もその性質を受け継いでいます。
これで先程の疑問が解けます。
現代人は会話をする必要性が減っているにも関わらず、なぜ昔から会話の量が変わっていないのか。
それは人と話すと幸福を感じるから。人と話さないでいると苦痛を感じるからです。
だから会話をする必要がなくても、現代人は人と積極的に会い、たくさん会話をするのです。


情報交換から共感の会話へ

現代人は昔の人と比べて情報交換のための会話が大分減っている。
しかし会話の量は昔の人とあまり変わっていない。
つまり昔の人が情報交換のために会話をしていた分、別の会話が行われていることになる。
その会話とは一体何か。
それは共感を目的にした会話ではないだろうか。
共感の会話とは一体何か。
まず情報交換とは一方がある事実を知っていて、もう一方が知らない時に成立する。
自分が知っている事を相手に話す。または自分が知らないことを相手から聞く。それが情報交換です。
それに対して共感とはお互いに同じ情報を共有していて成立する。
お互いが知っていることに対して意見や感想を言い、相手の反応を見る。それが共感目的の会話です。
現代はこの共感目的の会話が多く行われている印象です。
そしてこの共感こそが会話が疲れる原因ではないかと思っています。


共感目的の会話は疲れる

情報交換と共感の会話を比較してみると、情報交換の方が圧倒的に楽だなと思います。
情報交換はただ事実をありのままに相手に伝えればいいだけです。
聞く側もただ相手の話を聞いていればいいだけで、無理して返事や反応をする必要もありません。
それに対して共感目的の会話は、お互いが既に知っている事実に対して意見や感想を言い合います。
相手の意見が自分としても理解できる、共感出来る場合は楽しいかもしれません。
自分と同じ考えの人がいるんだと仲間意識を持てて、安心することができます。
しかしそんなに都合良くはいきません。
人はみんなそれぞれ違った生き方をしていて、違った価値観、思想を持っています。
なので当然、人と話していて自分とは違った、全く理解できない価値観、思想に出会うことがあります。
そのような時に素直に自分の考えを相手にぶつけてしまうと言い争いになり、その後の関係がぎくしゃくしてしまったりします。
なのでそのような事態を避けるために、自分の気持ちを抑え込んで相手に同調してしまう人が多いように思います。
これが会話に疲れる要因なんじゃないかと思います。

以上で終わります。最後までお読みいただきありがとうございました。